『中東政治入門』で中東の「なぜ」を解き明かす:難解さを超えた理解への扉

本レビュー

「中東は難しい」。そう感じる方は少なくないのではないでしょうか。絶えない紛争や複雑に絡み合う民族・宗教問題、そして石油を巡る国際的な争奪戦など、中東で起こる出来事は私たちにとって理解しがたいものに映りがちです。しかし、立命館大学教授である末近浩太氏の著書**『中東政治入門』(ちくま新書)**は、そのような中東の「むずかしさ」を解きほぐし、「理解」へと導く強力な一助となるでしょう。


末近氏は、私たちが報道やインターネットを通して中東の出来事を「知る」機会は増えたものの、それが「なぜ」起こるのかを「理解する」ための学術的な知識に触れる機会が少ないと指摘します。

既存の中東政治に関する書籍が「ソフトすぎる概説書」か「ハードすぎる専門書」に偏りがちな中で、本書は両者の橋渡しとなることを目指して書かれました。それはまさに、中東研究を志す人々への「お誘い」であり、「みんな中東研究しようぜ」というメッセージでもあります。

本書は、中東がどのように動いているのかを、「国家」「独裁」「紛争」「石油」「宗教」という五つの主要テーマから深く解明します。これらのテーマを通じて、なぜ中東諸国が生まれたのか、なぜ民主化が進まないのか、なぜ戦争や内戦が起こるのか、なぜ経済発展がうまくいかないのか、そしてなぜ世俗化が進まないのかといった「謎」に迫ります。

中東の紛争の原因を、安易にその地域に固有の宗教や民族に見出しがちな見方に対し、本書は警鐘を鳴らします。末近氏は、宗教や民族は中東以外の地域にも存在するにもかかわらず紛争が起こっていない場所が多く、また紛争自体も中東固有のものではないことを指摘しています。 『中東政治入門』では、このような偏見や思い込みを乗り越えるため、中東という地域の**「ありのまま」に迫る地域研究**と、人間社会の営みの因果関係を明らかにする社会科学という二つの学問の強みを活かし、その両方に目配りすることで中東の紛争を「理解する」ための学知を提供しています。

末近浩太氏が編者の一人を務めたオンラインイベント「中東を学ぶ:研究者が語る経験と魅力」では、各分野の専門家が中東の奥深さと研究の面白さを語りました。彼らの話は、まさに『中東政治入門』が提示するような、中東を多角的に理解する視点の重要性を裏付けています。


言語から見る中東(武田俊之先生): アラビア語は、22カ国で公用語または国語として使われ、話者数約4億人で世界第5位にランクインする主要言語であり、決してマイナーな言語ではありません。国連の公用語でもあり、その汎用性の高さは、イエメンやヨルダン、スーダン、さらにはパキスタンのウルドゥー語話者とのコミュニケーションにも役立つと語られました。また、武田先生は、話し言葉のアンミーヤと共通語のフスハーの使い分けを指す「ダイグロシア」という概念が、現代アラブ世界の言語実態を捉えるには**「時代遅れ」**であると強調し、フスハーの学びが地域理解に不可欠であると指摘しました。

ジェンダーから見る中東(峰崎清香先生): 峰崎先生は、ご自身の経験から、中東のジェンダー研究の醍醐味は「予想を常に裏切ってくるところ」にあると述べました。ムスリム女性が抑圧されているというステレオタイプに対し、当事者の視点からそのリアルを追求することの重要性を強調。ジェンダー研究は学際的であり、単に「女性や性的マイノリティを扱う」だけでなく、ジェンダー理論や関連する学問分野(文化人類学、歴史学、法学など)の専門知識を組み合わせることが不可欠であると説きました。

経済・ビジネスから見る中東(斎藤潤先生): 斎藤先生は、かつて湾岸諸国では「経済など存在しない、全ては政治が決定する」と言われたことに衝撃を受けたと語りながらも、実際には民間部門や新産業が拡大し、経済研究のフロンティアが広がっていることを示しました。中東の経済・企業研究には、標準的な経済理論と地域研究の知見を融合させ、安易に「石油やイスラムのせい」と結論づけるのではなく、慎重に分析する姿勢が重要であると強調しました。

宗教と政治から見る中東(高尾健一郎先生): 高尾先生は、宗教研究者としての視点から、中東ではなぜイスラムが政治と深く結びついていると見なされるのかという**「不思議さ」について考察しました。西洋の「世俗化論」がイスラム研究には当てはまらないという見方があった中で、世俗化論自体の見直しが進む現代においては、中東研究もその議論をアップデートする必要があると提言。中東の政治と宗教は常にダイナミックに変化**しており、一筋縄ではいかない「不確実性」「不安定性」こそが探究心を刺激する魅力だと語られました。


『中東政治入門』が対象とするのは、西はモロッコから東はイランまで、北はトルコ、南はアフリカ大陸のスーダンに至る21の中東諸国であり、その広大な範囲と多様な姿を本書は詳細に解説しています。 本書を読み終えた時、末近氏が願うのは「やっぱり中東は難しい…」という感想だけでなく、**「中東は難しくとも『理解する』ことができるものだ」**という思いを抱くこと、そして中東をこれまでよりも身近に感じてもらうことです。

本書はまさに、読者にとって「一冊でわかる」という類のものではなく、文字通り知の世界へと誘う「始まり」の書となるでしょう。この一冊を手に、あなたも中東の奥深い世界へと足を踏み入れてみませんか。

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